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2020年4月18日 (土)

気をつけよう (私が経験した肺炎)

 新型コロナウィルスが猛威を振るっています。ほとんどが軽症で済むが、場合によっては重症の肺炎になり、死に至るということですが、肺炎ってどんな病気でしょうか?私の経験した肺炎を思い出してみたいと思います。私の考え方としては風邪をこじらせると肺炎になってしまうという認識ですが、その肺炎を更にこじらせてしまったのでした。

 私がその肺炎にかかったのは1982年、17歳になる直前のことでした。土砂降りの中でソフトボールをしていたのが5月21日、その翌日には体調が悪く学校を休みました。熱が少々出ていました。近所の病院にかかりましたが、普通の風邪だとのことでした。その後も体調が優れなくて食欲のない日が続きましたが、とうとう運命の6月1日を迎えてしまいました。

 なんだか朝からどういうわけか胸が痛く、当時通っていた高校に登校(まさに登校で、坂道をひたすら登るという道のりでした)するのに非常にだるく、たどり着いた時にはもう、何もできない状態でした。今までに経験のないことでしたが「気のせいだ」ということにし、気晴らしをすればよくなるとばかりにゲームセンターに行ったのですが、体調は悪くなる一方でした。

 その後2日間は学校に通ったのですが体力の消耗が酷く、胸の痛みは止まりませんし、食欲もありません。そしてとうとう4日に高熱が出てしまい、学校を休まざるを得ませんでした。咳もひどくなり、胸からはギュウギュウ音がしていました。息を吸おうとすると胸が苦しくなり、咳が出てしまうのです。本当に苦しくてたまらなくなってしまうのです。この状態でこの間の病院にかかったのですが、心配ないというばかりで、なんの進展もありませんでした。その後とうとう痰に血が混じるようになってしまいました。それを見たとき、私にはもう命はないと思いました、この晩は咳がひどく、とうとう一睡もできませんでしたが、この晩、自分の趣味にしか興味のない(今となってはとても批判できないが)親父は会社の仲間と海に釣りに行ってしまいました。翌日の5日には意を決し、母に病院に一緒についてきてもらうことにしました。

 病院に行くと、心配はないのでレントゲンを撮る必要はないと医師は言いましたが、無理矢理撮ってもらうことになりました。撮影した画像を見て医師は顔面蒼白に。どうやら誤診をしていたようです。肺が真っ白で、丸い斑点が出ているとのこと。オウム病の可能性があり、その場合鳥は2週間以内に死ぬとのことでした。当時うちにはセキセイインコを飼っていましたので、その可能性は否定できません。(結局この後7年間も元気に生きていましたが)そんなわけで即入院になりました。当初6人部屋に入ったのですが、すぐにナースステーション横の重病人の個室に移されました。息子を見捨て釣りに行ってしまった親父が顔を出します。この後父母が呼ばれ、大変なことを宣告されたようです。即ち、「すでに手遅れで、どうしようもない状態になっている、しかしできる限りのことはします」とのことを明かされたようです。そんなことは本人はもうわかっていました。すっかり食欲はなく、出される食事は全く食べられませんでした。それでもラジオだけは手放せずに聴いていました。それにしても呼吸が苦しくてたまりません。息を吸おうとすると咳き込んでしまい、血痰が出ます。ギリギリまで我慢したのでしたが、とうとう我慢できず、酸素吸入をしてもらうことにしました。機械が動き出すと、呼吸がすごく楽でした。このままずっとやってもらえたらうんと楽だど思いましたが、あまり吸うと体に悪いとのことで止められてしまいました。元気であればこの日に一緒に遊ぼうと約束していた2人の友達が見舞いにきてくれました。そのうちの1人が「こいつは殺しても死んだりしませんよ」と言いました。私が危篤状態だったことを知らずに発したセリフだったようですが、母はこの言葉で本当に勇気が湧いたと言っていました。この後症状は著しく改善され、3週間後に退院してしばらくの自宅療養の後社会復帰できましたが、この38年前に経験したこの肺炎ですら、今回の新型コロナウイルスによる肺炎の中では軽症のようです。もうあんな苦しい思いはしたくありません。皆さん、気をつけて下さいね。

2020年4月12日 (日)

中学3年生の時の修学旅行?

 コロナに脅迫されて、外出もままなりません。私の居住地は緊急事態宣言は出されていませんが、カメラの修理をすること外出をできるだけ抑えるようにしています。

 さて、4月15日には中学の修学旅行に旅立って40年になります。当初は小諸駅から熱海駅まで臨時列車を仕立て、(小諸発7時28分)行くことになっていたんですが、春闘時期の国鉄のストライキの関係で、列車では行けずにバスで行くことになってしまいました。もし鉄道で行っていた場合、どういう経路で熱海まで行くのかかなり気になっていました。昭和55年(1980年)ですから、上野から東海道線に抜けるルートはすでに廃止されてしまっていましたし、山手貨物線ルート(今の湘南新宿ライン)で行っても機関車の付け替えはどこでしたのかだとか、謎です。武蔵野線経由だと貨物専用線を通過した可能性があり、これはこれで楽しそうです。どこでEF62からEF65に変わったのか、はたまたEF58に変わったのか今考えてもドキドキしてしまいます。鎌倉で1泊し、さらに東京での宿舎であった日本学生会館からは中央線が見えており、線路上に放置されている黄色い101系(当時は最初の計画通り全電動車にするべくパンタ搭載準備車がまだ現役で活躍していた)を見てハアハアしていたが、それがストライキが解除となり動き出すのを目撃していました。動き出してからは、当時の最新鋭電車であった201系900番台を目撃し、飛び上がって喜んだ記憶があります。帰りはもうすでにストライキは終わっていましたので、ごくノーマルに上野駅からEF62けん引の12系客車による8303レで帰ってきました。


2020年3月14日 (土)

極初期型のニコンF2を入手した

某フリマアプリを覗いていると、F革のF2の写真が出てきました。シリアルナンバーを見ると、かなり若い番号でした。私の手元にある二台の710万台よりも若いようです。金額は私の感覚では結構いいのですが、どうしても手に取って見たくなりました。というわけで思わず購入してしまいました。現品は外見にあまり傷はなく、モルトが要交換な状況です。シャッター幕も綺麗で、感動してしまいました。残響音はこれはもうお決まりなので、仕方がないところです。ファインダーのプリズムにはカビが生えており、スクリーンはモルト屑でちょっと見辛い状況でした。
Dsc_1554

初期型のF2の特徴として従来覚えていたのは、

 ・F革

 ・マイナスネジの使用

 ・裏蓋のフィルム挟みがツルツル。

 ・絞り込みボタンを押さずにミラーアップレバーの操作が可能。

 ・タイム目安(っていうんですね。セルフタイマーの秒数が表示されているプレートです。)が金属。

あと人から聞いた情報では、

 ・巻き上げレバーの指掛けが金属製のものがある。

 ・エプロン部のNikon銘が、通常の書体のものがある。

上記2件は都市伝説だと思っていました。

そして今回入手したF2。
Dsc_1558 Dsc_1560

指掛けは通常のものと比較すると明らかにモールドが鋭く、色も金属を黒染めしたときのような感じです。エプロンのNikon銘は見ての通りです。(下は7105)

71*万代のF2は、先幕を駆動する際に発するショックが画質を低下させるとして、その対策を施したボディーは720万代として区別され、販売されたようです。(「ニコンF2(ボディ)教育資料」より)



2019年8月25日 (日)

フォトミックSB系(DP−3・12)の分解修理その2

私はフォトミックの修理をするときにはDC3Vを鉄道模型用のレオスタット式パワーパック(高2の時に私のオリンパスOM-1N+交換レンズと友人のNゲージシステム一式+追金と交換したもの。この追金で中古のニコンFMボディを購入し、現在に至る)で作り、試運転させていました。またDP-3やDP-12は、中のコードを切ってしまうのが怖くて、あまり開けてみたことはありませんでした。

先日もいつものようにASA感度ダイヤルが欠品のDP-12に接続したところ、一瞬表示してブラックアウトしてしまいました。何が起きたかわからないなか分解してみましたが、わかりませんでした。コードを新品にしてみましたが、全くうんともすんとも動かず、首を傾げるばかりでした。件のパワーパックをテスターで測ってみてびっくり!なんと15Vを示しているのではありませんか。抵抗が抜けてしまったのでしょうか?いくら回しても15Vを示しているばかりでした。こうしてDP-12はお釈迦になってしまいました。まあ、部品取りができてしまったわけです。

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FREをよく見るとDP-12のそれのほうがDP-3のものよりきれいなことがわかりました。DP-3のものはかなりすり減っている印象です。(写真は下述の分解したときのものです。通常は歯車に接着されているので、このように手にとって見ることはできません)

Dsc_1214

それならばということで単純に付け替えてみることにしました。しかし付け替えてみても結果は変わらずマイナスが点灯しているだけでした。しかしよく見ると以前に巻いた接点復活剤がかなり残って浸透し、じゃぶじゃぶな状態になっていることがわかりました。エアーダスターで飛ばそうとしてもなかなかうまくいきません。仕方がないので分解することにしました。

Dsc_1212

こんな感じに分解できます。この一番右の歯車の中にこれだけのものが隠れているわけです。これをクリーニングペーパーで拭きます。組み直してDP-3に入れてみると、何事もなかったように表示するようになりました。もしかしたら不動のDP-3やDP-12もこんな感じで復活できるものもあるのでしょうか。

2019年8月14日 (水)

フォトミックSB系(DP−3・12)の分解修理その1

正月に更新して以来、本当に久しぶりの書き込みとなってしまいました。

私の盆休みは今日までなのですが、この休み中はずっと表題のとおりのアイテムをいじりまくっていました。というのも、一月ほど前に外見極上でシャッター不動のF2フォトミックSBをネットオークションで入手しました。シャッターは到着すると同時に修理し(もう大体不動の時にはここをくすぐれば動くというポイントがあるのです。)、とりあえず動くようにはできましたが、DP-3はマイナスの表示のままで動く気配がありません。あと、手元にも同じ症状のDP-12があり、なんとかしたいと前々から思っていました。で、せっかく5連休にもなったので実行に踏み切りました。幸運にも20年近く前にネットオークションで入手したDP-12の修理指針(サービスマニュアルみたいなもの)があったので、熟読しました。コードの断線やFRE への接触が悪い、またはICの劣化があるとこういう症状が出るようです。

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分割する際に勢い余ってリード線を切ってしまうと大変です。すでにギリギリの短さのコードを切ってしまうとさらに短くなり修復不能になってしまいます。まあ修理指針に配線図も載っていますので、作業は大変になってしまいますが、修理は可能です。場所が狭いせいかハンダ付けがかなり粗っぽい印象を受けるのは私だけでしょうか?今回は思い切ってコードを新品にすることにしました。ただ、オリジナルの色にできないところは仕方がないこととしました。今回はUL耐熱架橋ビニル絶縁電線という外径0.3mmのものを使いました。

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次にFREの清掃です。写真に写っている銀色のギアーの裏に金属薄膜抵抗体FRE(Function Resister Element) がついています。このギアを外しアルコールで清掃します。ガラスに印刷されている物質なので削り落とさないように気をつけます。結構汚れておりびっくりしました。そして組み戻します。一旦は作動しましたが、またマイナス表示に戻ってしまいました。またバラしますか。

ところで、どなたかフォトミックASのASA感度ダイヤルをストックされている方はいらっしゃいませんでしょうか?腐食しており、交換しようと部品取り用のDP-1のを外して(色違いだけど寸法は同じ)みましたが、かしめてあるので元には戻らず、銀鑞付けをしようとして部品を溶かしてしまい、修理不能にしてしまいました。お譲りいただけると助かります。

 

 

 

2019年1月 5日 (土)

ニコンF2 巻き上げのトラブルその後

 金属用の接着剤の「メタルロック」を使い、形は整いましたが、やはり力がかかる部品には厳しいことがわかりました。

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 きれいに仕上がったんですが、取り付けたらバラバラになってしまいました。ハンダ付けには自信があるんですが、おそらくこれも力がかかると曲がってしまうはず。結局「鑞(ろう)付け」に挑戦することにしました。ホームセンターで銀鑞を購入し、挑戦しました。固定がうまくいかず、失敗続きで銀鑞を盛りすぎて、部品はボロボロに。もうやめようと思いました。


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それでもあきらめがつかず、再度チャレンジしました。やっとコツがつかめてきました。それは部品そのものを赤くなるまで熱し、その熱で
銀鑞を溶かすということです。ようやく流れてくれました。「捲取中板」に組み付け、モリブデングリースを塗り、調子を見ましたが、軽く動きますし、クリック感もあるので、まずまずのようです。


2019年1月 3日 (木)

ニコンF2 巻き上げのトラブル

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年もF2を中心とした機械式カメラの修理と鉄道の撮影に励みたいと思います。

 ニコンF2は、稀に巻き上げ機構にトラブルを抱えている個体もあります。巻き上げのタイミングがずれ、2回巻き上げは必要なものや、巻き上げ機構を司る「捲取中板」の裏側に付いている板バネが折れ、予備角および露出計スイッチのタイミングでカチッとクリックしないというトラブルなどです。巻き上げのタイミングは分解し、「捲取中板」を外し組み直すことで直せます。しかし、バネが折れたものはストックがあれば交換すれば済むのですが、そうそうあるものではありません。

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どうしてこんなものが割れるのか、わかりません。ただいくつか見た様子だと、みんなほぼ同じ位置が割れています。

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たまたま立ち寄った模型店で見かけた「メタルロック」という接着剤を買ってきました。ものが小さいだけになかなか難しいかもしれません。

2018年12月 2日 (日)

1974年のニコン総合カタログ

先日のカメラ大中古市でゲットしてきたニコンのカタログです。1974年2月現在なので、まだFがカタログに載っていました

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ニコンF2アイレベルはFフォトミックFTnよりも高価なカメラだったということを初めて知りました。
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2018年11月21日 (水)

E257系「あずさ」引退してしまうの?

 2001年7月、身重の妻を連れて松本駅であった展示会に行きました。E257系のです。その時にもらってきたさまざまなグッズは今でも手元にあります。その2ヶ月後に産まれた娘は17歳になりました。現在高校2年生。2001年当時、毎週のように小渕沢ー長坂ー日野春あたりに出かけてました。183・9系を狙って。休日の6時前には自宅にはもういない。妻は一体この家庭はどうなってしまうんだと憂いたとのことです。

 それが、E257系が近々中央東線から引退してしまうとのことで、久しぶりに中央東線に行ってみました。朝早い時間はE353系が多く、全く遭遇できませんでした。それでもやっと走ってきました。

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2018-11-10 長坂ー日野春間にて

でも初めて会ったのですが、E353系もカッコいいですね。

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2018−11−10 長坂ー日野春間にて

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2018年10月30日 (火)

写りは悪いが旧型電機(1979年)

 中学2年の9月15日、友人と東京へ行きました。交通博物館に行き、山手線に乗るのが目的でした。その際の信越線急行の道中での写真です。朝一の急行なので「信州2号」ですね。当時急行は混んでいて途中駅からはなかなか座れませんでした。デッキに新聞を敷いて座って行きました。この半年くらい前に従兄弟と東京に行った時も座れませんでした。
 まだカメラを使うようになって1週間くらいでした。シャッタースピードの意味もわからず撮影をしていたので、ひどい写りで恥ずかしいのですが、改めて見てみると今では貴重なので何枚か晒します。ごめんなさい。当時プリントしたものはあまりにひどいので捨ててます。

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1979-9-15
多分高崎第二機関区付近でしょうか。せめてシャッタースピードが速ければもう少し使えるのですが。

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山手線の車内から撮影した東京機関区だと思います。
この時から数えて40年近く。私は「鉄」道に励んできていたのでした。

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